JICA業務(都市交通マスタープラン策定)のお手伝いで,キンシャサに行ってきた.キンシャサはコンゴ民主共和国(以降,コンゴ民)
の首都であり,都市圏人口は約1,000万人とも言われている.上の写真は市内の幹線道路だが,とにかく,信号も歩行者横断道も殆ど
ないので,いたるところで歩行者が車を避けながら横断していて危ない.



さて,コンゴ民について簡単に触れておきます.



コンゴ民は,アフリカの中央に位置しており,面積は日本の約6倍,ブラジルのアマゾンにも匹敵する密林地帯を擁する.
海との接触陸地は僅かであるが,雄大なコンゴ川を用いた舟運は昔から発達していた.しかし,キンシャサから少し下流から
急流になるため,船は海までは運航できず,キンシャサから,400km弱の距離のマタディ港までは陸路となる.

植民地時代からのコンゴ民の歴史は以下の通り(wikipediaから)

 1885年 - 1908年 コンゴ自由国(ベルギー国王の私有地)
 1908年 - 1960年 ベルギー領コンゴ
 1960年 - 1964年 コンゴ共和国
 1964年 - 1971年 コンゴ民主共和国
 1971年 - 1997年 ザイール共和国
 1997年 - 現在 コンゴ民主共和国

関連した書籍を今回も何冊か読んだが,主なものは以下の通り.



左上:「ルポ 資源大国アフリカ」/白戸圭一/朝日文庫/2012年2月
  アフリカの紛争国の事情をまとめた本で,コンゴ民の東部で深刻な紛争の実態が記載されている.
右下:「世界最悪の紛争「コンゴ」」/米川正子/創成社新書/2010年5月
  少し以前の本であるが,コンゴ民紛争をとりあげた本で,サブタイトルは「平和以外は何でもある国」です
右上:「闇の奥」/コンラッド/光文社古典新訳文庫/2009年
  1900年前後に,船員としてコンゴ川を行き来したコンラッドが,その禍々しさを,秘境に佇む白人老人を
  通じて描いた本.後に,F・コッポラが,場所と時間をベトナム戦争に転じて,『地獄の黙示録』で映画化した
  ことは有名である.この訳本は読みやすいです.巻末に訳者による,「わかりやすい翻訳メモ」があり,
  それも面白いです.
左下:「たまたまザイールまたコンゴ]/田中真知/偕成社/2015年7月
  1990年代初頭と,2012年の二回に渡り,コンゴ川を数百キロ以上丸木舟で下るという,無茶な筆者の
  冒険譚(?)である.かなり面白い.コンゴ民の民衆の行動様式などが手に取るように描かれている.

その他,今は帰国jされましたが,「ボノボの森から〜キンシャサ便り」ブログ
も楽しい内容です.


あとは,土木工学卒業生としては,マタディ橋の物語も紹介すべきですね.
ODAのあるべき姿 として色々なところで紹介されているようです.



さて,兵藤が今まで訪れた国の中で,GDP per capita最低の国は,アフガニスタンだった
(2017年統計値で,USD586).しかしコンゴ民の同統計値はUSD458で,過去最貧国となります.
まぁ,国全体の値と都市の経済レベルには相当の差があるので,あくまで参考値に過ぎませんが...



  

上の地図はGoogle Mapsから引用しました.キンシャサが,コンゴ川をはさんで,コンゴ共和国の首都,ブラザビルと対峙している
様子を確認することができる.頻繁に両都市を行き来する船があるようだが,不思議なことに,調査団に臨時雇用されていた
キンシャサ大学の卒業生で二十代半ばの女性に,「ブラザビルにはよく行くの?」と聞いたところ,「行ったことない」とのこと.
両国間には微妙な距離感があるのかも知れない.




  

さて,今回は水曜日のセミナーの前,月曜と火曜に現地視察をご案内いただきました.上の左が市内中心の月曜,右がキンシャサから
道路で100km程度の距離の,Malukuまでの火曜日の行程です.以前はGPSロガーで記録することが多かったのですが,もう面倒なので,
スマホアプリの Arc で手抜きさせてください.





今回のトリップ調査結果をお借りして,人が集まる地区の概説を.これはトリップ集中量の heat map です.官庁街のGombe地区や,キンシャサ大周辺
(学生が集まるというよりは,沿道商店に買い物客が集中している),そして活気のある東部の市場地区の集中量が目立ちますね.






まずキンシャサに着いて驚くのは,前述の通り,幹線道路でも,平気でいたるところ,道路を横断する歩行者の姿だ.これは多分,
heat mapに登場する「市場」を縦断する幹線道路であったと記憶しています.
そして黄色いタクシーが,走行する車の半分程度を占めているように見える.タクシーは,”TAXI"と,"TAXI-BUS"に分けられる.
後者は18人定員の,乗り合いミニバンである.聞いたところでは.今年の5月から,タクシーは黄色に塗りたくり,登録することが
義務付けられたらしい.その結果,すべてのタクシーは,以下の30cm*40cm程度のラベルを貼ることも義務付けられる.
黄色の塗装代が3万円程度かかるため,それを負担できないドライバーは車を手放さざるを得ず,タクシーの台数が減少した
のではないかとも言われているそうだ.ちなみに,タクシーの車種は右ハンドルのトヨタPASSOが多かったように思う.





この認可プレートにはQRコードが記されている.写真では無効化されているが,QRコードリーダーで読んでみると,URLが表示される.
そこにアクセスしてみたら,"document code", "document登録日","document type"の3項目だけが表示されただけで,特段の個人
情報などは登録されていないようだ.しかし日本のデンソーが発明したQRコード,最近は世界各地で
使われているんですね.エライ!





キンシャサの中心部,東京でいえば,23区内のイメージだが,道路構造は,東西にほぼ1〜2本の大規模幹線道路があり,
そこを起点に南北に4〜5本の2車線程度の幹線道路が伸びるようなイメージだ.ここまでの写真は東西の大規模幹線道路だったが,
南北幹線は,舗装2車線道路程度で,延々と沿道に商店が張り付いている.ところどころ,道路陥没もあるので,上記の
ような混沌とした交通状況である.





南北幹線道路は未舗装区間も多く,陥没が広がり,まともな走行が困難となる.





最近はご多分に漏れず,バイクが増えているとか.しかしバイクは完成品を輸入するのではなく,各パーツを別々に輸入し,国内で
組み立てるのだそうだ.それ故,登録の必要もなく,バイクにはナンバープレートがない!





南北幹線道路の沿道商店で賑わう人たち.とにかく,こんな風景が道のある限り,10km近く続いているように思われる.
エネルギッシュである.






交通マスタープランの将来像を見ていたときに,計画では,中心部から南部の山沿いに宅地化がドンドン進む...と記載されていた.
しかし,そんな山の中に宅地が広がるというイメージができずに,違和感を免れなかった.例えば,今回月曜日に踏査した上の場所である.
パット見では,郊外の密集した住宅街...としかイメージできないが,実際に現実の姿を見てようやく納得できた.





キンシャサは,中心部から数km南に進むと徐々に傾斜が始まり,やがて緩やかな丘陵地帯となる.日本でイメージすると,大阪〜奈良
あたりの雰囲気か.その丘陵地帯の山肌にビッシリと家屋が張り付いていたのだ.上記写真の山肌の家屋がそれを表している.





その山あいに建ち並ぶ家屋の一つ.のどかな風景だが,水はどうするのだろうか.





これも山あいの家屋.鶏が走り回っていた.干している服の数から,大家族であるようだ.





山あいの道端で,物売りをする子どもたち.学校は?





調査団の方に教えてもらったが,この切り通しには,日本でいうところの「都市計画道路」が計画されているそうだ.
ちょっと将来の姿が思い浮かばないが,重要な基幹道路のひとつなので,近い将来の完成を期待したい.
遠くには晴れていればキンシャサの中心部が見通せるそうだが,この日は霞がかっていて残念.





山あいの家屋地域から舗装道路に戻ろうとしたら,前にいた車(スクールバスかな?)がエンコしていて,
子供も交えて手押し.一番右の赤シャツさんは,我々一行の車のドライバーだ.何だか懐かしい光景ですね.





その後,キンシャサ南部の丘の上に展開するキンシャサ大学(国立)のキャンパスへ.やはり世界共通の『大学キャンパスの雰囲気』
が漂っています (^^)





キンシャサ大学とCBDを結ぶのが「大学通り」なのだが,お伝えしたとおり,2車線道路で沿道商店が無期限に続く.しかし,大学から1〜2kmの
地点で舗装道路に大きな穴(というより100m程度の泥沼?)ができており,車は走行できず,迂回せざるを得ない.
様々な契約の問題が発生し,数ヶ月以上放置されているそうだ.どうしてこんなことに??? 謎の多い国である.





同じ場所の写真です.僅かな空間を,歩行者とバイクが通行している.プラスチック系のゴミが蓄積してしまうのは,キンシャサでは
いたる所で見かける問題点ですね.






キンシャサ名物の,ロボット信号(Traffic Robot ?)です.これは顔なしタイプだが,





これはガンダム風ですねぇ.





残念ながら後ろ向きですが,確かこれは女性顔だったと思います.またまた,車が行き交う道路を横断する歩行者三人も
写っていますね.





これはコワモテ警官風だ.





同じく警官風だが,少し表情が異なりますね.
さて,このロボット信号.コンゴ民の関係者が発案・製作したそうです.ロボット信号の動きや,
これをデザインした女性の方のインタビュー記事はYouTubeのこちらの動画





現地視察を終えた初日,調査団の方々とコンゴ料理店へ.肉・魚・野菜と色々な食材のコンゴ風味を
楽しむことができました.コンゴ川で採れる魚も美味でした.





視察二日目は少し遠出をして,Malukuまで足を伸ばす.Malukuは,Gombeと並んで対岸,コンゴ共和国のブラザビルへの船が
出ている港である.そのMalukuから数キロ離れたところで食事.雄大なコンゴ川を眺めながらのヒトトキ.サッカーをしながら
戯れる子どもたち.対岸に見えているのはコンゴ民領の中洲島で,コンゴ共和国領ではありません.





時々,漁をする丸木舟や,物資運搬の帆掛け船を見かける.誠にのどかな風景で,先に紹介した,「たまたまザイールまたコンゴ」
に登場するコンゴ川の様子を目の当たりにして感激.





以上の写真は,食事の会場である,これらの施設から撮影していました.この日は平日で空いていましたが,
なかなかの人気レストランのようです.是非!





そのレストランからの写真.コンゴ民は比較的多種類のビールが販売されているように思います.夕食の時に試した現地ビール
だけでも5〜6種類あったように思う.味もそれぞれ個性的で飲み比べも楽しめますね (^^)v





これは業務のご紹介.8月29日(水)の10:00〜17:00過ぎまで,この,「JICA・キンシャサ交通マスタープラン」に関するセミナーが開催
されていました.その横断幕.





参加者も120名以上となり,盛会でありました.当然ですが,役所を始めとする関係者が,将来のキンシャサのあるべき姿について
高い関心を持っていることをヒシヒシと感じました.ちなみに兵藤のプレゼンは,仏語の逐次通訳が入り,10:40〜12:00の約80分の
出番でした.何かのお役に立つことができれば幸甚です.





キンシャサを離れる直前に,対岸のブラザビルを遠目に眺める.何となく,建物の高さや新しさが目立つように思いましたが,
実際に行ってみないと分かりませんねぇ.



当方にとっては中1だった,1974年の『キンシャサの奇跡』で初めて知った名前でしたが,今も完全には収まらない長い紛争
の影響が,インフラ整備や教育にも影響しているという印象を持ちました.開発援助を通した経済や国民生活の向上が欠かせません.
それと同時に,コンゴ民にとって将来必要な,より大きな絵柄をキチンと描くことも大切でしょうね.



最後にSafety videoの紹介です.
今回,数年ぶりにAir Franceに乗りましたが,飛行機離陸前に義務付けられている,乗客への Safety Video,通常は
退屈で目を向けないのが大半だと思いますが,Air Franceのビデオは,思わず見入ってしまいました.常識を覆す内容
ではないかと思います.YouTubeにもUPされていましたので,是非!