10月11月の2回に分けて,東京都の港湾調査で伊豆諸島を訪れた.大島や神津島は
大学の船舶実習などで立ち寄ったことはあるが,調査モノでは初めてだ.『伊豆七島』と
呼ばれるが,定義により,七島の構成は変わるらしい.
さて,これは大島南部の波布港.火山噴火でできた天然の良港.写真では分かり難いが,
五右衛門風呂のような形状をしている.
三原山展望台からの元町の風景.小さく,元町港が見えている.ここまでは車で来る
ことができ,あと2時間程度登山すると三原山の火口まで行けるらしい.
伊豆諸島は沖縄と異なり,海から突き出た火山が連なっている.そのため,島周辺に
浅瀬がない.港建設でも,これが原因で十分な整備が困難となる.
ということで,島以外は海また海...という風景になる.
大島から近くの利島に渡る.これが海上から見た利島である.
これまた海から屹立した火山という印象.
利島の港に置かれている作りたてのテトラポット.今回,この手の消波ブロックをさんざん
見ることになる.消波ブロックにも色々な形があり,使い分けされていることを知った.
テトラポットは曲線があるため,伊勢エビが好んで近くに棲みつくのだそうだ.
利島村の様子.利島村は人口300人程度で,椿が特産.島の至る所で椿の実が乾されている.
これで冬にかけて椿油を絞る.全国の生産量のかなりの割合を占めているらしい.
村を歩くと,坂道と海,遠くを行き交う船が美しい.
利島から大島へはヘリコプターで帰る.20年ぶりのヘリコプターだ.昔,羽田空港→成田空港
の路線があり,乗ったことがある.便利だが,うるさいので長居はしたくない.
このヘリコプターは乗客定員9人.ヘリポートを飛び立つ,一便前のヘリの動画はこちら
大島から東海汽船のジェットフォイル(「セブンアイランド」)で竹芝桟橋に帰る.これがその船.
2002年から就航しており,利用率も高い.大島−竹芝間を100分程度で結ぶので,画期的な
サービスと言える.
ただし,高速(時速80KM)航行するので飛行機並にシートベルト着用.6名以上の連座シート
だと,身動きがとれない100分は辛い.
11月は,羽田−飛行機→八丈島−ヘリ→青ヶ島−船→八丈島(泊),そしてまた
飛行機で帰るという強行(+リスキー)日程.なぜリスキーか?
この行程の中の,青ヶ島−八丈島航路は年間就航率が5割を切っているのだ.
当日の帰りのヘリコプター便はないので,もし欠航の場合は翌朝のヘリとなる.
しかしラッキーなことに,この日は数日ぶりに船が就航との情報を聞き,安心して青ヶ島行き
のヘリに乗った.(しつこいが)ヘリからの動画はこちら
そして着いたのが,正に『絶海の孤島』青ヶ島.人口200名程度の青ヶ島村は,日本で最小の
村だそうだ.ヘリポートまで村長さんにお迎え頂き,一緒に案内して頂く.
この写真は現在使われていない桟橋を山の上から撮影した.崖崩れが多く,この船着き場
への道が崩れてしまい,今は近づくこともできない.想像を超えた自然環境の中で暮らしている.
ここも火山島なので,島中央部には阿蘇山のような美しいカルデラ地形がある.
中央の山の虎刈りは,椿の木が植えられていて,その管理のためだとか.
「石原知事もこの風景に感激されました」とのこと.
どこの桟橋に行っても,ひねもす釣り竿を垂れる人が多い.これは青ヶ島の三宝港の風景.
ここから,数日ぶりに就航する,八丈島行きの『還住丸』を待つ.
そして同じ場所から島を眺めるとこの光景だ.崖崩れのオンパレード,それを防ぐ夥しい
コンクリート壁と消波ブロックの群れ.太平洋の波と風が,何も遮るものもなく突進してくるため,
膨大なエネルギーがこの港を直撃する.
八丈島に戻った.これは『ドロス』と呼ばれる消波ブロック.角張っているので,ブロック間の
かみ合わせが良いのだとか.近くで見ると結構デカイ.
背景の山は,八丈三原山.八丈島はもう一つ八丈富士もあり,『ひょっこりひょうたん島』の
形をしている(島内,そこかしこに『ひょっこり...』と書いてある).その真ん中の低地が割と
広いので,早い段階で空港を作ることができたという幸運に恵まれた.
整然と積まれた石積みの壁.蜂の巣状に一つの石の周りに正確に6個の石が配置される.
流人に海岸から石を運搬させ作られたとも言われるが,個々の石はかなり重い.
その原材料の石がころがっている海岸.遠くに見える特徴的な島は八丈小島で,今は
無人島だが,1969年まで人家も学校もあったそうだ.どんなところなのだろうか.
最後は,この秋の大雨で壊れた道路.伊豆諸島の島の暮らしの厳しさを表す一葉でしょうか.
島の生活を支える港や空港の役割の大きさを再認識すると共に,『東京の島』
として,もっと多くの方に親しんでもらいたいと思います.