都市計画に興味を持って本を読み出したのは、大学2年の頃だっただろうか。大工と不動産屋だった二人の祖父に影響されたのか、建築には、もっと小さい時から関心を持っていて、小学生の頃、家の改築のための稚拙な配置図を方眼紙に描いたりしていた。
残念ながら絵が下手だったので建築では限界があろうと考え、少し大きめで生活を支える施設を扱う土木を志望した。そして都市計画の道に入り、商業・物流機能や都心(CBD)について研究した。
5年ほど建設会社に勤めていたときは、都市開発と称して再開発計画やニュータウン設計をしたり、組合の副委員長として賃金交渉や経営問題を論じたりしていた。
「海陸一貫輸送という言葉があるが、陸の物流の専門家がいないので来てくれないか」ということから、現在の大学(旧東京商船大学、現東京海洋大学)にお 世話になることになった。赴任早々、「三方って、知ってますか?」とある教授に問われて困っていたら、「『土方、船方、馬方』というんですよ。あなたは、 土方を卒業して、船方の学校に来て、馬方の勉強をするんですね」と若干皮肉まじりに道案内をしてくれた。
このことを土木をテーマにしている作家の田村喜子氏に話したら、「『方』がつくのは偉いのよ。だって、親方と奥方には頭が上がらないでしょ。三つも『方』があれば立派なものよ」と、勇気づけられた。
以後、馬方ならぬ物流や流通の勉強を再開し、ロジスティクスを専門とする。
修士課程の学生の頃、初めて単著で書いた論文が、卸売機能と都市規模の関係をテーマにしていたのだから、縁は異なもので、約十年ぶりに出発点に 戻ったことにもなる。物流を研究する上で、建設会社という「民の経験」は役立った。さらに、1994年から1年間フィリピン大学で教え、開発途上国の生活 を体験したことは、物流や流通のみならず都市計画や都市生活を考える上でも有益だった。 (拙著参照)
物流研究は少なく、物流を研究の中心に置いている研究者も限られている。データが取りにくいこと、分析しにくく論文になりにくいこと、経済や経営の知識 も必要なこと、企業行動に影響されること、物流が民間行動である以上公的計画にはなじまないと誤解されていること、などが影響しているのだろう。
「河岸」という言葉からも解るように、物資輸送の必要性から、世界の大都市の多くは河川や海に接して発生した。極端に言えば物資輸送なくして都市 は成立しないし、日常生活においても商品の配送は不可欠である。なのに物流の研究者は少なく、「物流をあまり意識せずに都市や建築の計画が進められるこ と」は、とても残念なことである。
良い家には玄関と勝手口があり、高級ホテルは客と物資(料理やサービス)の道が別になっているのだから、良い都市も人と物の動線が分離されるべき であろう。また都市には消費だけでなく生産もあるのだから、生産施設や生産と消費をつなぐ流通・商業・物流施設の配置にも、あるべき姿があるに違いない。 そんな意識を持ちながら研究を続けている。そして、商業開発や流通業務団地などの広域な計画と、都心や商店街を対象に建築物を含んだ地区単位での物流に関 わる公的な計画に携わる一方で、民間企業のロジスティクスや流通センターの計画にも関与している。
また、天然資源の乏しいわが国が、将来とも産業貿易立国として成長していくためには、これを支えるロジロジスティクスのインフラや情報システムは 不可欠だろうし、環境にやさしいロジスティクスの実現が必要とされている。この意味でも、わが国の産業を支えるロジスティクスのグランドデザインを描きた いと考えている。